Rina_sensei’s blog

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ロシア語が広まっている地域。ベラルーシ共和国

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ベラルーシ共和国の国境がロシア、ポーランドリトアニアウクライナ、ラトヴィアと接しています。ベラルーシにはもともとロシア語、ポーランド語、ベラルーシ語が広まっていました。ソ連の時にもちろんロシア語がメインになりました。今はベラルーシ語と同じようにロシア語も正式的な言語です。ベラルーシ語とロシア語の競争によってベラルーシにはいろいろな論争があります。100パーセントのベラルーシ人がロシア語がわかるので旅行をしている人にとって便利です。ロシア語を知ったら、その国では色々できます。観光のためにいろいろな場所がありますので、いくつかのグループに分けて説明したいと思います。

第一のグループは自然と関係している観光のところです。それはオリマンスキエ沼、ビャウォヴィエジャの森、ポリーシャ、それも沼だけど、アウゴストフスキー運河、ナリボクスカヤ森です。そのところにはいろいろな生物と植物があって、そしてそのところには1941年から1945年までの戦争の歴史的な出来事がおきました。沼にはいろいろな秘密な道があって、パルチザンと難民があそこでファシストから隠れることができました。森も同じように使われました。でもガイドなしに沼に行かないでください。地図があっても、秘密な道を探すことが不可能です。沼というのは土のように見えるけど、一歩進んだら、沈没してしまいます。実際に自分で何度も沼に行く人のみその道を覚えられます。そして覚えている人の中にも沈没した人もいますから、それは危ないです。いいガイドなしに行かないでください。その道から右左一歩離れたら、沈没してしまいます。

第二グループは宗教的な建物の見物の旅行です。ベラルーシにはロシア正教キリスト教の教会、カトリックの教会、シナゴーグがあります。そしてキリスト教の古儀式派の博物館があります。

第三のグループは歴史的な建物、城です。ベラルーシの歴史は第二次世界戦争と深い関わりがあります。例えばそれはブレスト要塞です。それは部分的に残っています。1941年6月22日から29日までソ連の兵士がファシストからその要塞をまもりました。1877人が死亡しました。実はベラルーシの地域はある期間にファシスト支配下になってしまったので、多くの普通の人が亡くなりました。知っているかもしれないがハチーニというところがあります。ファシストが628村の住人をそれぞれ村の一つの場所に集めて、その場所を燃やしたんですね。多くの子供、女性、おじいちゃんとおばあちゃんがそのように亡くなりました。ハチーニというところでメモリアルがあります。

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私はウイキペデイアで色々なことについて日本語で見つけられなかったので、日本人の方々が色々知らないと思います。ロシア語の知識によってそういう抜けていることが補うことができます。外国語の知識がすごく大きな自由を与えてくれます。特にその外国語を使う人が多ければ多いほど開く世界が広くなります。ロシア語の勉強をやりましょう。